誰しもが考える事だと思います。よく言われていることで、どなたかの啓発本を読んだのですが自分が行っていることを1時間単位で見える化して、趣味、仕事、家事、生理的な行動などをアウトプットしろというものです。
私はその啓発本通りに以前やってみたのですが、性に合わず格式化されているような感覚になり、人間なんだから時間を気にせず生きてみようと感覚になりました。もちろん私はこうだったので、時間を管理する人の生き方を否定したいわけではありません。
時間を短縮したいとなった時、芸術や情報技術にに関して申し上げますとAIを頼ったりすることもあると思います。
AIが関わっている機械学習、ディープラーニングの技術って入力層、隠れ層、出力層があって隠れ層が何層にもなっています。行列の集まりなので、複数の数値を行方向と列方向に分類するために閾値を定めていくのが基本的な処理です。
元となるデータやパラメータを活用して、有意なデータを分類していき、出力として為していきます。DXが流行ったのはそういう背景もあるような気がします。正直浅い知識なので、概略しか理解できていませんが正直そこを語りたいわけではありません。
所詮数値であるので芸術観点で言えば画一化されてしまい、技術的なもので言えば、すでにWeb上に公開されているような簡易的な処理になってしまいます。大規模になればなるほど、それらの特徴は顕著なものになるかもしれません。
私個人の意見としては、何でもAIがやってくれるから自分達は何もしなくてよいと悲観的になるのではなく、簡単な事はAIに頼りながら、創造的な事は愚直に取り組んでいくべきな気がします。色々なAI用のAPIが導入されているのはそのためなのかもしれません。AIに頼りすぎた場合、真に何も出来ない人になってしまうことを私は恐れています。時間との兼ね合いはもちろん必要ですが、やり過ぎてしまった場合は自分らしく、人間らしく生きられなくなるのでは?と考えるようになりました。
昭和な人間かもしれませんが、自身で手を動かし続けていくことはとても大事なはずで、日々取捨選択し時間を考えながら、創造的な事を取り組めるように努めていきたいです。AIはあくまで生活や精神的な助けとして、頼っていこうと思います。