本日も症状には特段変わりないことを伝えた。ただし心配されても困るので、仕事が忙しいことは伝えていない。
思えば、前々職では職場で知り合いの声だったり、似ている人を見かけたりすることが多かった。この頃から症状は始まっていたのかもしれない。無自覚というものは恐ろしいものだ。また悪口が日々聞こえ、それを自分を守るために相手に問い詰めても、そんなこと言ってないよとの一点張りである。事実かどうかは置いておいて、今考えれば当然ではある。
過去は変えようがないので、代わりに未来を突き進むことが出来る。
話は変わるが、地元に帰ってきて発症したときに知能検査を受けた。WAISである。いたって平均の数値である。
全検査IQ:104
言語理解:99
知覚推理:111
ワーキングメモリー:106
処理速度:97
平均でよかったというのは私の感想で、ただし症状がまだ落ち着いていない時だった。それを言ったら、医師は
「もう少し高く出るかもしれないけど、数値に囚われてはいけないよ。大事なのは何が書いてあるか」
そういわれた私は、臨床心理士が残してくれたコメントの方が大事じゃないかと思い、それを伝えた。「そうそう」と同意してくれた。
・論理的思考力が高い
・目から得る情報量が多い
・抽象を具体化する能力が高くない
改めて伝えてもらうことで、自身の認知の癖を知ることが出来た。
話の中で言われたのが
「こうあるべきという思いが強い。男であったらこうあるべきといったようなものだね」
そう、これは私がいつも考えていることである。
「もっと柔らかく考えていいよ。君は寛解したも同然で、薬を減らしてもいい。
ただし症状の発端がわからないから、何とも言い難いところだけどね」
ざっくりこんなことを言われた。発端など言えるはずがない。それを言ったらまた妄想扱いされるかもしれないと思いがある。
柔軟に考えていいというのは収穫で私の中では励ましと同時に救いだった。言葉に出来ない何か心地いいものが心につき抜けたように思う。
私も含めた人間はささいな励ましと感謝、そして支え合いの上で成り立っている。しかし現実はお金もあって、苦しい時もあれば、悲しい時もある。一時の救いが人生を成り立たせてくれるのであって、常に求めてはいけない。