mhs98311のブログ

精神疾患となりました。自立への道を辿っていこうと思っています。

鋭い分析はできる人が限られているかもしれない

このように思うのは私が分からないことだらけであるのに、断定するといった行為が苦手だからかもしれません。理想が高いのでしょうか。

「お前はこうだから」とか「ずっと身分わきまえて生きていろよ」とかそういう風に言う人ってたまにいますよね。私自身もそのようなニュアンスなことを言われたことがあります。

そのような行為で断定することは、言った本人が自分自身の視野を狭めると同時に、他者を陥れる見下しも含めているように思います。他の方々がある事情でこのように思ったのだという過程が大事であるのにも関わらず、言動と態度から判断し、決めつけていく方々。こういった方々をどのように言葉で言い表してよいのかが、私には分かりません。思慮深いか、深くないかで言えば深くないのかもしれないです。

そういった場合、私は即座に分析できる訳ではないので、一旦持ち帰って俯瞰してみてみるようにしています。

具体例としては、ある飲み会での会話や反応を振り返ったりなどです。今回挙げた「お前はこうだから」「ずっと身分わきまえて生きていろよ」などについて申し上げます。
何故この方はこういうことを言うのだろうと疑問となった時

1.環境が原因でそのように人を判断するようになった
2.自分を守るためにそういう判断を行っている
3.ただ単に人を見下しており、性格が表出されている
4.言われている本人に問題がある

などが考えられる原因なように思います。正直私の場合は4番目の可能性が高いですが、多くの人はそうではないと思います。もし他の理由がある方いらっしゃいましたら、教えていただけると助かります。

それを踏まえて、私が考えた対処法です。
1については関わる人を選んだ方が良いと助言してあげるのも1つの手です。
2については、自分らしくあればよいと思うので無暗に否定せず、ポジティブな言葉を言い続けて諭すでしょうか。
3についてはどうにもならないので、放っておくですね。
4については、改善しようがある気がします。自分を如何に自信を持って伝えられるかが焦点になる気がします。

共感を持って聞ける方の話ってありますよね。多分ですが苦労されているからであり、多くの方には理解できない事も考え続けてきた結果そのような人間性になったのだと思います。そういった方は自己分析も他者分析も達者ですし、回りをよく見ることができるのでしょう。

私は鋭い分析といったものが出来ないので、多くの場合本の知識やネットの知識を頼るようにしています。共感できるような分析って限られていています。

統計のように数値化を求めていけば、一目瞭然ですが感覚的に受け止められないのは人の性なはずです。しかし感覚を大事にしすぎた結果、受け入れがたいものになることは、自分自身の症状を通して学びました。

分析は、現代だと統計と感覚の両方を行き来するものであるように思えるので、上手く自分の人生に携えていきたいと思います。