私の長年の問いです。知識があっても視野が狭いことがあったり、知識が邪魔してしまうのではないかと考えています。
私は、他人より秀でていても、それはもしかしたら?といった考えが抜けません。知識があっても、それが過信に繋がる可能性はあります。自信が過信に繋がることを防ぐためには、常に『上には上がいる』という意識を持つことが重要な気がします。知らないことは山のようにあり、全てを知ることは難しいです。もし全てを知っていたら、神の域なのでしょう。私は神を信じているわけではありませんが。
私のスタンスは目聞きした知識が既存の知識であっても、再度調査することを心がけています。しかしインプットするばかりで、知恵というものは身につかないのを実感していますし、自信が無いのだと思います。
考えていくことは大事であり、調べたものが果たして信頼できるリソースであるか。そしてそれらは果たして正しいのか?そうすると、視点は増えていくように思います。私は、常にそんなスタンスで行動しているかもしれません。
これは技術者としても役立つはずです。既定の路線を行くのはもちろんなのですが、自分が気が済むまで調べ上げ、過程と結果、そして論理を繰り返し、導き出す答えがあるはずです。
関連するかもしれませんが、歯を改善するために、あるお医者さんにかかっていました。歯石を取る為です。継続的に通院していたのですが、2週間に1度通う必要があるのか?といった疑問が生まれました。そこで別の歯医者さんに通院することにしました。そこの歯医者さんは、歯石取りは頻度は多くなく、1回やれば問題ないとのことでした。同じ歯医者さんでここまで違うのだろうか?といった考えが生まれました。聞いたところによると、2週間に1度通っていた歯医者さんはそういったスタンスで、ブラックな話ですが、患者さんの歯をよく抜くらしいです....長年続いているため、実績が知識になったのでは?などの考えが生まれました。そして実績が自信に繋がり、患者さんにとっては全く良くなく、それらが見えていなかったから過信につながったのかも...なんて。まあ妄想ですね。
次に通院した歯医者さんは、歯に余計な事をせず、患者さんに寄り添っている気がしました。親知らずの治療も行ったのですが、歯茎が痛んでいて、薬を塗るだけで痛みが治まりました。抜きたくなかったのもあるのですが、患者の疑問を逐一聞いてくれるので信用できました。自分の歯を失ったら、一寸先は闇、差し歯という違和感と戦いながら、生活しなければならないのでは?なんて考えたらきりなかったです。もちろん極端な例だと思います。
私の答えは、「自信は過信に繋がりうる」です。私自身、成功した経験はほぼ皆無ですが、そのスタンスを変えない方が良いと考えています。自己批判を繰り返すことは、自分を見つめ直し成長するための有用なツールである一方、過度になると行動を妨げるリスクになり得るのは念頭に置いてよいと思います。実際に関わる人に迷惑かけない程度に行っていくことが大事であると考えています。実際に関わる人とはどんな人?と言われたら、普段会話している人だと思います。