mhs98311のブログ

精神疾患となりました。自立への道を辿っていこうと思っています。

私の経験と幻聴

 私は統合失調症であり、その時の経験を書いていこうと思います。自分がやったことはすでに反省していて、今は自戒の日々を送っています。まず始めの幻聴として、知り合いの声で、いかがわしいことをしている幻聴が聞こえました。主に性的なことを行っている幻聴です。知り合いが近くの部屋に住んでいるといったものや、ストーカーされているといった幻聴が聞こえました。現に知り合いに似た人が近くにいたため、ストーカーされているといった考えは強まっていきました。次第に衛星で管理されているといわれるようになりました。またメンサであるといわれるようになりました。メンサは高知能集団であり、私は自分が頭良いと思ったことはありません。どこを歩いていてもそのような幻聴が聞こえるようになっていきました。その幻聴が間違ったものであり、精神的に追い詰められている自覚は全くありませんでした。衛星で管理されている幻聴から、自分は盗撮や盗聴をされている気分になっていきました。これは幻聴に由来している妄想であるとその時は考えませんでした。

 知り合いの声は私が思いを寄せている人であったり、私が過去の会社でいじめられていた時のリーダー格のような存在であった人であり、何故その人たちが私を潰すのかといった、憎しみを感じていたことを覚えています。私自身はそれらの声によって潰されるのではないかと考えており、3日間のまず食わず寝ずといった事態になったため、幻聴に左右されてはいけないと考え、3日目にご飯を食べ一時的に体調が回復したことを覚えています。

 そしてさらに色々な知り合いの声が聞こえてくるようになりました。主には大学の先輩や後輩などであり、また会社の上司もいました。これにより盗撮や盗聴をされているといった思いがより一層強まり、私はその証拠を見つけ出すべく、盗撮の現場や盗聴器の居場所を知るために音声録音機などをネットで購入しました。生活も困窮しており、分割で20回払いとしました。

 器具を得た私は証拠をつかむべく、音声録音機を家の至る所に置き、盗聴器から発せられた音声が無いかを調査しました。その当時、盗聴器からは相手側の音声が出てくると思い込んでいたためです。また耳の中に盗聴器が仕掛けられていると考えていたため、耳の近くに音声録音機を置き、寝ている時は録音するようにしておりました。音声による証拠は全く出ませんでした。盗聴や盗撮されているといった考えはより一層深まり、これは何か対処方法が無いかと考えた結果、夜にお酒をあおることにしました。缶ビールを1日10本以上、夜に飲んでいたこともあります。お酒の影響か、幻聴の影響で疲れ切っていたか分かりませんが、泥のように寝ていたように思います。それでも翌日朝になっても幻聴は消えず、この盗撮や盗聴はどうやったら消えるのだろうかとずっと考えていました。生活はさらに困窮を極めました。盗撮や盗聴の証拠は一向に見つからず、私は秋葉原で盗聴器発見器と監視カメラを購入しました。自宅でさっそく使い、盗聴器発見器の電波を受信できないかと調査していました。電波の感度帯も調査しており、もしこれで受信したら必ず盗聴器があるだろうと考えていました。特定の場所で、盗聴器発見器が反応する箇所を、その時住んでいたアパートにて発見しました。さらに証拠を見つけ出すべく、テレビなどを分解しました。当然証拠などありませんでした。電波が反応したことを、急いで警察に報告しましたが、取り合ってもらえませんでした。その時は精神障害者である自覚が無く、何度も警察を呼んでしまいました。そういった背景から警察を信用できなくなり、探偵を呼び、盗聴器や盗撮カメラの発見を行ってもらうように指示しました。結果は盗撮カメラは仕掛けられていないといった結果であり、探偵も信用できなくなりました。その時は、盗聴器発見器が偽物であることも気づきませんでした。今もその盗撮発見器は捨てないでいますが、折を見て捨てたいと思っています。自分が今まで行ってしまった戒めとして、残しておくのも良いとも考えています。

 戒めとなることは、これから記述します。私は盗撮や盗聴をしている犯人を見つけ出すべく、住んでいるマンションの2つ隣の部屋へノックするようになりました。知り合いがその部屋に入っていくのを見ており、そこが盗撮、盗聴現場であると考えていました。しまいには出てこいといい、ノックではなく部屋の前のドアを叩くようになっていきました。私は何度も部屋の前へ行き、どうにかして現場を押さえられないかと躍起になり、何日もその部屋の前へ訪れました。部屋からは人が全く出てこなく、その時は何故自白しないのだろう、何故そんな盗撮などをするのだろうと考えており、やっている人物は良心が無いのだと考え、そして私は絶望し、部屋へ閉じこもるようになりました。

 幻聴により死にそうになりながら、私はお酒をさらにあおるようになり、死ぬように眠りました。この時には全員が敵だと思うようになっており、誰も私の味方ではないと考えていました。幻聴はさらに進み、電波の乱れた音も聞こえるようになり、盗撮や盗聴をしているのは明白であると考えるようになりました。部屋に閉じこもっていた私は、逆に私の部屋をノックする音や叩く音が1度や2度聞こえるようになりました。私は逃げるべきだと考え、部屋の前に家具やテレビを置き、当時3階に住んでいたアポートの窓から逃げることにしました。鞄には財布とケータイを入れました。3階から2階は部屋数が異なり、2階の部屋の方が多かったため、3階から2階へ降りることが出来ると考え、ベランダを飛び出して、降りました。そして2階から1階に下りる時に、大家さんの物干し竿を折ってしまいました。私は逃げるように駅に向かい、その当時好きだった人との思い出である幕張駅に向かいました。それが心の拠り所であったように思います。幕張駅に着いた時、盗撮されていると親に電話し、どうにかできないかと相談しましたが取り合ってくれませんでした。私は盗聴や盗撮されている自覚が一向に消えず、またお金も無い為、満喫にて夜を明かしました。

 電話がかかってきており、その電話は何度も無視していました。怖かったためです。10回目くらいで電話を取りました。警察からの電話であり、親が探しているとのことでした。私は交番へ行き、親に迎えに来てもらいました。その時に強制的に睡眠薬を飲まされたことを覚えています。今思えばすべて当然の対応であったように思います。

 車の中で泥のように眠り、家に到着しました。翌日、私は親と話し合いましたが、幻聴を信じ込んでいたためか、盗聴されていると思い込んでいたため、親と全くコミュニケーションが取れませんでした。病識が無いというのはこのことであるように思います。病院に強制的に連れて行ってもらい、病院の院長に診断をしてもらい、ドーパミン過敏症であると告げられました。俗にいう統合失調症です。私は閉鎖病棟に3ヶ月入院となり、薬も飲んでいましたが、一向に症状は良くなりませんでした。閉鎖病棟に休んでいた時、幻聴はさらに混迷を極めました。イスラム過激主義から狙われているといった声も聞こえたり、フリーメイソンの声も聞こえるようになりました。フリーメイソンからの声は、課題のようなもので私をさらに混乱させるようなものでした。会社の上司の声も聞こえており、その声は協力して私を潰しているような声でした。また看護師の人や医師が性的な事をしている、今から大便を食わされるなどといった幻聴が強まっていき、私はそれを完全に信じ込んでしまっていました。

 幻聴しか聞こえず、周りの声も耳に入らず、食事にも身が入りませんでした。開放病棟へ移動するとなった時、私は善悪の判断がつかず、幻聴を信じ込んでいたため、開放病棟に移る時に暴れてしまいました。強制的に薬を飲まされ、私は隔離病棟へ行きました。そこで3日間過ごし、食事と薬を飲み、徐々に落ち着いてきましたが、幻聴は一向に消えませんでした。そのため、盗撮されているといった妄想も消えませんでした。隔離病棟を離れ、私は閉鎖病棟へ移りました。幻聴は聞こえ続け、何故私はこんなところにいるのだろうと考え始めており、今まで自分がやってきた行いはすべて正しいと思い込んでいました。私は強制的に閉鎖病棟を卒業しようと考え、幻聴はもう聞こえませんと医師に伝えました。そして病院を退院しました。何もならないのに私は幻聴と戦い始めました。

 幻聴と戦い始めた時は、その際に色々な所へ赴きました。山へ行ったり、自分が住んでいた吉祥寺などです。山へ荷物を持った状態で上り、下山したりもしました。幻聴は消えないままでした。また家で寝たり、たまにジョギングに行ったりしていました。10~30km近く走っていたこともあります。その当時、断薬をしており、症状は悪化するばかりでした。症状を放置した結果、ついにどうしようもないことをやってしまいました。

 幻聴に左右され、私は器物損壊を起こしました。近くの方に警察に通報され、私は洗いざらい本心を言いました。幻聴で、その場所がヤクザ事務所であり、過去父親が盗撮や盗聴をされたことがあり、その現場だったことを幻聴で言われたと話しました。警察の方に精神保健福祉士を呼んでもらい、私は通っていた病院に行き、再入院となりました。措置入院でした。3ヶ月入院となり、私は閉鎖病棟に行き、医師の方が良く話を聞いてくれて、安心した記憶があります。治療が早かったためか、薬はそこまで量は飲みませんでした。精神薬と合わせて、便秘薬を処方していただき、院内で運動していたこともあり、あまり太りませんでした。開放病棟に移り、そこで人と関り、誰も味方じゃないといった思いは晴れていったように思います。

 3ヶ月ちょうど経ち、私は退院しました。現在、私は薬自体は少なめで闘病を続けています。家事も行っており、たまに息抜きでドライブや旅行に行き、両親や兄弟にお土産を買い、他人に少し配慮ができるようになりました。普段は障害年金をもらいながら、節約しながら生活しています。

 私は自分の人生を生きてきた中で、私は高校や大学時代で何も努力していなかったことに気づき、現在は自分のペースで勉強を行うようにしています。今後は自分と同じ統合失調症の人に役に立てるよう微力ながら、寄付などを行っていきたいと考えています。今後は仕事をどうにか行っていきたいです。

 ここまで読んでいただきありがとうございました。ブログでは自分の考え等を発信していけたらと考えています。