妄想ではあるが、違いについて考えてみた。
それは診断されたかどうかであり、当事者目線で言えば、診断された時に、レッテルが貼られるだけで、当事者はほとんどの方は自信も持たないと思う。
当事者は鬱積された感情とそれに伴う行動があり、苦しんでいる。健常者はそれについて悩む必要がなく、また自信に満ち溢れている人が多い。
現当事者で一生レッテルは続くが、レッテルを貼られたうえでどう行動するかに尽きる。そのままふさぎ込むのか、人間的な生活を追い求めて活動を続けるか。
私は後者を選んだ、無論信頼できる人にしか自分の症状は言えないものだ。
話は変わるが、婚活バーに行っていたことがあるが、行くのをやめることにした。何故かというと、普通の健常者の振る舞いを求められるからである。
「友達を作りなよ」
「気に入らないことがあれば言ってくれ」
「選んでいる余裕あるの?」
これは私が売れ残りという現実を見たら、事実でしかない。。うまく言えないのだが、8歳上の方で食い尽くしがありそうな方を話して、その方と話した時だけ、マスターから盛り上がったじゃんと言われた時何かがおかしいと感じた。これらの言葉を思い出した。
「カラオケ上手いじゃん」
「この人カラオケ上手いのかうまくないのかわからないから」
「売れ残りのムーブじゃないね、ブスはブス同士引き合えばいい」
思えば引き返す日はいくらでもあったはずである。そう、この人間は信用すべきでないと感じた。嘘を嘘と思わず、何を考えているのが全くわからなくなった。そういった人間が一番信じられない人間なのが私が考えているものだ。
違う日に行ったときに、もう紹介は大丈夫ですと伝えた。私なりのアンチテーゼだが、実際はただの拒絶でしかない。何故か泣きそうになった、その時の感情もよくわからない、私は女性の希望を伝えていたにもかかわらずである。
しかしマスターだけが悪いわけではなく、私自身もマスターに紹介してほしく、足しげく通い詰めていた。これが良くなかった。
何故今更というか、やはり経験せねばわからないのかといったところが、私という人間の浅さでしかない。障害者らしく身の丈に合った生活と、出会いなどを求めるべきであると思った。もしくは出会いを求めてはいけないかもしれない。
というわけで、身の丈に合う一人暮らしを始めるために、様々調べている。今日は疲れてはいるが、良く寝れるだろうと思う。
今日は当事者と健常者の違いは途方もなくあると言いたかったかもしれない。しかし人間的生活は求めていいように思う。