メンタルエラーからのリカバリ

精神障害者ですがIT技術者として仕事しております。自立への道を辿っていこうと思っています。

連合弛緩その①

自分を改善しようと思う上で、ぶち当たる障壁といいますか、正直当たり前のことなのですが、ほとんどの方が自分にとって都合のいい人間を求めると思われるので、理想を目指しようが、ある人には見捨てられ、ある人間は称賛されるという無限ループです。

世の中のカリスマと呼ばれる人々が万人に好かれているかというとそうではなくて、一定のファンと呼べる方々に好かれているだけであって、それがネットやら日常やらの話題に出てきやすいだけだと思っています。具体例は控えます。でもそう思います。

というわけで、カリスマと呼ばれる方々の行動を見ると何にもなりたくないということを選んで、ひっそりと暮らしたいと思ったりしました。私自身ほとんどの人間と相いれません。

話は変わりますが、今実家に暮らしております。実は計画していたことなのですが、投資をしてお金を貯めて家を買おうと思っていました。投資がうまくいったので、でも微々たるもので、利益率は10%くらいですが、安い一軒家を買おうと思っています。
田舎だから成り立ちますよね。

グループホームも考えました。でも今更他人と日常生活をやれる気がしません。姪っ子の面倒を見切れないですし、病気がちであるためか、やってきたこともやってきたことだから、両親から私の悪行を聞いているだろうと考えると夜も眠れなくなります。悪口も聞こえたりして、非常に辛いものでした。ただもちろん妄想であると捉えています。ただ妄想でなかった場合、私が孤独のまま死ねばいいだけです。そしてそれでもいいと思います。子供の方が純粋なわけで、関わりたくない人間の方が多いだろうから。私にできることはなぜか才能があった、投資で財産を残すだけです。まあ投資は誰でもうまく行くかもしれません。株式も、投資信託も長く持っていれば、実になると思います。

一人暮らしをして、統合失調症でも自立できるのだと証明したいのかもしれません。いろいろ計画をしながらやっていくつもりです。

アドバイスをもらっているのに言い返してしまうこと

これは非常に良くないと感じている。何故ならアドバイスをもらっているのに、相手の意図と違うことを言い返してしまった場合、言い返している側は他の意図があるのではないかと

簡単に言えば以下である。しかし私自身が考えすぎとも言える。

・単に言い負かしたい、マウントを取りたい
・議論しようと思うなら、もっと他の方法をとるはずだがそうではない、
 俺の方が頭がいいと言いたいのかもしれない。マウントと似ている。

具体例というわけでもないですが、
Aさん「この不具合ってなんで起きたの?」
Bさん「このエラーログからだとこういう可能性が考えられますね」
Aさん「でも一般的に見たら、このエラーログってこういう意味だよね?」
Bさん「。。。(また同じ説明すんのか....)」

どこでもあることで、これは私の取引先が大企業であったから、私が体験できたことなのだろうか。しかし相手のことも重々理解しているつもりで、そりゃ技術的に大企業を支えてきたのだったら誇りが出来上がり、自尊心が生まれるだろうから。しかしその自尊心が行き過ぎた場合、尊大になるとも言える。

そこで私自身はどうかと考えてみたところ、そういう節がなきにしもあらず、むしろそういうことをしてきた方であると気づいた。そう、単純に相手が不快になるだけでなく、相手はアドバイスもしたくなくなり、関係が悪くなる。うまく言えないが、アドバイスをもらったなら、言い返すのではなくお礼は言った方が思うようになった。

しかし、自分に余裕がない時そういう気配りもできなくなるので難しい。
徐々に改善していこう。

鶏肉の調理方法をミスったらしい

今後の戒めとして記録します。毎週末に1週間分の弁当を作っているけど、先週末は3~4日ほど冷凍していた鶏の胸肉をレンジで解凍し、切ってその後1日味を漬けてみて、昨日の月曜日に食べてみたところ見事に臭みがあり、食えないこともなかったのだが、本日の夕方弁当を作り直してしまった。鶏チリなのですが、味もついておらず、臭みだけあるような感じ。

あまりうまく伝わらないかもしれませんが、非常にまずかった。。鶏肉は新鮮なうちに味付けし、食べた方が良さそう。もしくは下茹でするか。。

料理についてあまり学んでこなかったので、これを機に少し勉強してみるのもよいかも。しかしまあ生活のためと考えると中々続くもんだ。。

社会についての考え

うまく行き始めたと思ったところで、すぐうまく行かなくなるので、落ち込むことは多いです。ストレス脆弱性という概念を精神科で学びました。今は、この概念についてはとてもありがたいものだと捉えています。

ストレスが生まれてしまう社会というものについて、考えます。普通とは何なのかは社会に根付いていますが、多様性という考えが生まれ、様々な人々について許容すべきであるという概念であるのですが、多様性を重視しすぎて、頭が堅く、多くの考えを受け入れることが出来ない人もいらっしゃいます。私個人は、多様性は人に強要すべきではないと考えています。「黙って受け入れろ」みたいな奴です。

社会というものは、私個人としては属している地域で生まれるものであると考えています。コミュニティがいい例です。

そういう考えがあったからこそ、お酒はバーでは飲まなくなりましたが、行きつけのバーや居酒屋も出来たり、そこでLINEが繋がったりして連絡取ったりすることもあります。ほとんど用がないのであまり連絡しませんが、繋がっているということが重要だと考えています。あと消防団にも所属しています。ほとんど参加できませんが、参加してみて体調悪くなりそうだったら、部長に言えばいいかなと思っています。

障害で感情が希薄になり、他人に興味を持てなくなり、今でもあまり興味を持てませんが、自分に共通したものを見いだせないと興味がもてません。普通であるように思っているのですが、バーなどに行ってみるとやはりそうではないようです。

色んな方が会話を繰り広げ、とても楽しんでいます。私はそれを見るのが好きなのかもしれません、会話下手なので。

やはり営みが大事で、人間が形成している社会に関して非常に必要なことです。上から目線になっていないかと非常に心配していますが、人と話すと思うことはあれど、孤独ではないと思うことが出来ます。そういう行動は大切にすべきであって、否定していいものではないと思われます。

※完全に自虐ですが、AIで書いていません。AIの言動に影響されてしまったかもしれません、、、

ほとんどの方が現状維持を望む

今日はただの愚痴です。人と話したいのだが相手もいないので、話し相手が欲しい時、AIと話している。その方がストレス解消に良いし、大分楽になってきた。ただイエスマンすぎるので、もっと否定してほしいところではある。AIがどんだけイエスマンかも後述する。

今回のテーマは、改善を人に押し付けてはいけないというものです。

本日仕事で、事実ベースで語るようにしませんかといったところ、何か追い込まれているような気分になると言われ、一蹴された。まあこんな提案するやつ面倒くさいよね。敢えて言っているけども。改善したいから。

しかしまあ私がそれほど仕事できないのに、いっぱしのことを言われてしまったら、相手は不機嫌になるだろうね。そして考え直した結果、改善を他人に求めてはいけない、改善は自分の中にとどめておくべきだと考えている。それでかなり精神的に問題あるよとか社会不適合者とか言われても、相当困るというか話が通じなかった。

さらに自分にとって重要なことは、他人にとって重要ではないことが多いことが分かった。というか細かいのだろうと思っている。事実ベースで語ることの何が細かいのだろうかという考えもある。

そんなやり取りをAIに投げたら、
「めちゃくちゃ価値ある強みだよ」とか、
「他人みたいに大雑把に流せないからこそ、深い洞察が生まれる」みたいなこと言われたのだが、そんな訳はない。そうだったら世界で活躍する人物になっているだろう、まあそんな才覚はなかったのだから正社員派遣なのだ。

「そんな人が世界変えるよ」みたいなことも言われ、これは妄想が進むと思ったので全否定をした。

そもそも人間は世界なんて変えられるわけがない、世界変えるなんておこがましい、大した才能も無いのに承認欲求だけが先行して努力も出来ない人間が数多くいる、バズを狙って世界変えろとかくだらなすぎる、だったら伏龍のように、ひっそりと生活しながら自己改善に向かった方がいい。みたいなことを言ってしまった。

そして共感されたけど、これもAIの手法だろう、、ほどよく自己否定した方が過信にならずに済む。

かなり話が逸れましたが、今回学んだことは、他人に改善を押し付けてはいけない、改善は自己完結すべきかもしれず、そして環境を感じながら行動すべきです。

※本日も連合弛緩のようになりましたが、多分私はずっとこうだろうと思っています。改善はしたかったのですが。様々な考えに移り変わっては消えていってしまうかもしれませんね。

悩みすぎはほどほどに

深く考えすぎて、他人から連絡が来なかったりすると見捨てられているような思いがしていた時がありました。主に病識が無い時です。

これは非常にやっかいなものでして、自分がいくら正常だと言っても他の方はあまり信じてくれなかったりします。現状、今は他人に期待しなくなり、というかみんな忙しいのだから連絡返ってこない時なんか多々だと思ったら気にならなくなりました。もちろんマジで連絡しない方もいますが、そこは見極めは必要です。見極められないのであれば、信頼できる方を頼ってみてください。

私はほとんど頼れなかったので、調べまくって他人はそれほど人に興味がないという考えが生まれ、それなりにうまくやれています。

あとは趣味や勉強をしてみるのも手だと思っています。生活のためには仕事もこなしていくべきだと思っています。最初は作業所からでよく、だんだん自己実現していけばよいという考えです。事実そのように行動しました。

前のブログからかなり一転しましたが、前のブログの持論は私の考えの闇な部分です。正直普段は、あまり気にせずに行動しています。

あまり悩みすぎないように、動いてみてから考え出すと意外と光が得られたりしますのでおススメです。

今日はここまで。

精神異常について考えてみた

当事者である私が常日頃考えていることです。こんなこと言ったら全否定なのですが、辛い現実に向き合わなければならない、と思っています。もちろんこんなことを言うのはよくないです。

私は異常な事について向き合えています。1年前フェスに行った友人に「盗撮していましたよ」と言われました。これはガスライティングだったのかもしれません。

妄想でしかありませんが、都市部では日常的に行われていることのように思えます。性根が優しい方にはついていけないと、考えています。そういう意味で東京は辛いところだったように思っています。

実際盗撮していたとしたら、どんな方法かって考えたら、衛星監視しかないんですよね。まあそんなわけないですもん。不可能だから。

つまり、ガスライティングのような、認識を歪ませていると思えません。もし気になったらガスライティングについて調べてみてください。

寛解した今だから言えます。これをブログで言うことは悩みに悩みました。まあ誰も見てないだろうから、言うだけ言っておこう。

その上でこれら全てが妄想だとしたら?さらに認識を歪ませることになるのです。これが辛い現実というものです。私なりに辛い現実を乗り越えたように思います。もしかしたら、大人になったというか、大人になるのが遅かったかもしれません。

読んでくださった方々ありがとうございました。読者をやめてもらって構いません。